おはなしのめも

うそごとをかきます

夢の中ではうまく走れない

何故自分がここにという戸惑いとともに記事を書いてみましょう。

夢で魘されることがまれにあるのだが、大抵は目が覚めた瞬間夢の内容は忘れてしまう。しかし、昨夜見た夢は現実に起こったことの再現。日中思い出しては、あのときの自分に忠告したくなった。もうどうしようもないのに。

実家に置いてあった本で、真っ先に捨てられてしまったのが、一番大事にしていて、引っ越し先が整ったら運び込もうと思っていたものだった。奥瀬サキ川原泉萩尾望都、その他にも今では入手が難しい漫画の単行本が詰まっていた段ボール。捨てたと聞いたときには本当になにも言葉が出なくて、親としては捨ててやったありがたく思えということなのだろうけど、ぼんやりしっぱなしの自分の姿を見て何かまずいことをしてしまったのかもしれないくらいは思ったようだ。ちなみに親からの謝罪は一度もない。大事な本だったのにとしばらくして立ち直った後に伝えたのだけど、放って置いた方が悪いと言われたような気がする。もう、その前後の記憶は曖昧だ。

それでも、未だに夢に見て、魘されるなんて自分でもいい加減忘れちまえば良いのにと思う。ネットで検索すれば手に入るだろうし、何より今それだけの本が増えたら何か別の本を整理しなければ、手元に置いておくのが困難だ。親に対しても、そういう人だからと、許す許さないの次元じゃないところで諦めている。自分の事だから諦められた。でも、夢に見てしまう。ののしって殴りかかることのできない相手を、夢の中で罵倒する。頭を掻きむしって発狂したように叫んでわあわあ泣いて、ちょうど失った本の分だけ穴の空いた体内を、叫び声で埋めるかのように。そうしてあの時の自分を慰めているのだろうか。叫び声が口の中でくぐもって、魘されるだけなのに。

本の中身が、どんな形で提供されていこうとも、私はきっとこのときのことを忘れない。折に触れ思い出しては自分の執念深さに自嘲するのだろう。

 

と、こんな感じの小説を書こうかなと言うメモを、ここに残しておきましょう。